トラック運転手時代

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最初は稼げた運転手~原油価格高騰の煽りを受けて倒産~再び失業

辞めて数年後が過ぎて新会社が倒産する前日、まだ新会社を続けていた社長とある場所で偶然会いました。すっかり落ち込んだ様子で元気もなくなっていました。みちのく食品時代にまだある営業所の所長だった彼にS氏に従っても会社は良くならない、S氏には会社を良くしようなんて考えはないはずだから信用しないほうが良いというアドバイスした事がありました。詳しい話は聞けませんでしたが、住んでいたマンションや持っていた不動産などの資産を全て新会社の担保にされて失ったのではないかと思います。

私の次の仕事はトラックに乗る事を選びました。その理由は私もイイ歳にもかかわらず生活は何の保証もなく不安定なまま、いつも求人があってすぐ働けそうな仕事をしておこうと思い、トラック運転手を選びました。トラック運転手は求人数こそ多いものの、経験年数が条件になっている事も多かったため未経験OKの求人を探して何とか仕事に就く事になりました。

私が運転手になって間もなく原油価格の上昇がはじまり、燃料の値上がりは数年わたって続きトラック業界が徐々に厳しくなってきました。経営破たんする会社も現れだし、私が勤めていた会社も給与体系の見直しが行われ、徐々に収入が減ってゆきました。入社して5年目頃の給与体系見直しでは労働基準法違反ギリギリまで下がりました。

勤めていた会社は自前の荷主を持っておらず、大手輸送会社にトラックと人を派遣するような仕事をしてましたから、中間マージンが搾取されたあとの安い契約料で仕事を受けていたようです。「今日は仕事ないから来なくてイイよ」という日もあり、有給休暇はそのためにある、原則として個人的な理由で有給は使用しない事というバカみたいな規則もありました。

そんな会社ですし、社長は先代社長が亡くなって会社を受け継いだ2代目社長大手運送会社からまとめて安い仕事を沢山もらう営業方針で、小口でもいいから直接契約する荷主の開拓は一切していませんでした。大手運送会社とは1日あたりいくらで契約していたようで、荷物が増えても走行距離が増えても一定の金額しか入らないのに増えた分の燃料代や運転の残業代は支払わなければならず、忙しいほど持ち出しが出て儲からないという体質でした。

そんな会社ですからやはりあっさり倒産、いちおう受け皿として名乗り出た会社があって無条件に転籍可能でしたがギリギリまで待遇が下がっていたにもかかわらずさらに待遇が低くかったため、さらに倒産による失業なら失業保険もすぐ貰えるので、ここでも退職する事にしました。今回も失業保険の給付期間は180日、さらにオプションで60日まで延長可能になったため再び長期休養し次のステップの準備とする事にしました。