コンサドーレ札幌で繋がる

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幼馴染との再会~経営再建を目指して

と言えばお盆も過ぎてそろそろ仕事につかなければならない時期となりました。実はコンサドーレ札幌のスポンサー企業でもあった「みちのく食品」(2006年8月倒産)の創業者家族とは幼馴染で同い年の友人が専務、兄貴が社長を務めていました。10代の頃はよく3人で遊んだりしました。

みちのく食品は過去に経理担当者の売り上げ持ち逃げや食中毒などで何度か経営危機に陥っていました。システムエンジニア時代には仕事の提案も兼ねて何度か会社にも足を運んでいて、私なりに分析したところ管理部門がズサンという問題点が見えていました。情報投資をしておらず何度も提案はしたものの、過去の経営危機の影響で投資ができないままでいました。

暫くぶりに電話して私が失業している事を伝えるとともに情報部門の状況を聞いてみると相変わらず進めていないとの事で、では私が中に入って改善しましょうという事で話がまとまり、総務部ITシステム担当として席を置くことになりました。

みちのく食品に入ってまずシステムの利用状況を確認すると、保守契約切れのIBM製オフコンが1セット、サーバー1台と経理部門でクライアントが2台稼働していました。業務内容は経理伝票の処理、しかしメンテナンスをしていないためこのオフコンで全てを賄えず、オフコンへ伝票入力して帳票印刷し、その数字をオフコン処理できなかった伝票と合わせてパソコンのExcelに打ち直して各種経理帳票を仕上げていました。

商品の受発注や集計もExcelで枠だけ作って印刷し、手書きして再びパソコンのExcelに打ち直すといった始末。そう指導して改善するか困るような場面もありました。とにかく全社的に紙ベースの業務が主流で、何とエクセルで作った表を大量に使うためインク代が安いモノクロ印刷機までありました。

印刷用紙の使用量もハンパなくB5~A3までの用紙を月間で約20万円ほど使用してました。購入先のゼロックスさんに聞いてみたら札幌でもトップクラスの使用量だと言ってました。これに加えてファックス用の感圧の使用量もハンパなく、これらのほとんどが本社と営業所間の受発注に使用し、記載されている数字を拾ったら終わりという実にもったいない使い方をしていました。

他にも色んなところを調べてみると事務処理系だけで年間で1000万円前後の削減が可能となり、さらに手作業で行われている全社的な作業時間を計算してみると約500時間近い無駄な時間があり、社員3人分に相当する人件費も削減できる事がわかりました。

さっそく提案資料を作って専務経由で社長へ提出しました。問題となっているリースが使えないという問題も考慮しているので返事は時間の問題だと楽しみにしていました。しかし一向に返事がなく、専務に聞いてみたところ驚くような返事が返ってきました。

みちのく食品は過去の経営問題から信用力がないため、資金面の管理や資金調達は元拓銀の銀行マンだった経営コンサルタントのS氏が担っており、この人がOKしないとの事でした。何のための経営コンサルタントなのかとても疑問に思いましたが、数年後に明らかとなりました。

システム改修の件は社内にあるパソコンとエクセルを使う程度の事しかできず、経理部門には1人1台パソコンと使い物にならないオフコンクライアントが行きわたっているのに対し製造部門は4台のパソコンを8人で共有していました。会社の要である製造部門を少しでもバックアップするため何とか1人1台用意しようと思い、わずかな予算しかもらえなかったので中古やジャンクパソコンを集めて使えるようにして整備しました。

しかしこんな状況では経営改善も程遠く、仕事らしい仕事ができないまま2年が過ぎた2005年の年明に少し売り上げを伸ばしてみようかと思い、コンサドーレ札幌とのコラボ企画を考えました。年が明けてコンサドーレの新体制が発表となり、さらに若手選手寮の「しまふく寮」寮母さんがオフィシャルブログを開設し、毎日のように寮の様子が紹介され、中でも寮のごはんのブログが大人気となっていました。

当時の私のインターネットホームグラウンド、2ch国内サッカー板、秒刊コンサドーレでも寮母さんが作る寮飯ネタブログが大人気でした。これを見て寮飯をプロデュースした弁当を作ったら面白いかもと思い、さっそくHFCに打診し、売り上げの一部をしまふく寮の食事代にするという条件で寮母さんからも快くOKを頂きました。

みちのく食品はコンサドーレ札幌のホームゲームで「コンサドーレかつ弁」「コンサドーレかつサンド」を販売していました。とくにかつサンドは片手で食べられる手軽さで人気商品でした。ここに新たにしまふく寮の寮飯をプロデュースした新弁当、その名も「しまふくごはん」が加わる事になりました。2月ころから準備をはじめ、容器の選定やレシピ作りなども始めました。

レシピ作りは2週間に1度のペースでしまふく寮にお邪魔し、寮母さんがしまふく寮が出来る前の新川自宅時代から記録されているレシピノートをベースにレシピ選定をはじめました。このレシピノートはブログにも紹介されていて、コアなサポーターの間では是非見てみたいという伝説のレシピノートとされてました。ちなみにこのノートの全ページコピーは私の宝物として持っています。

2月と言えばコンサドーレの選手はキャンプで札幌を離れているのですが、1人だけ札幌に残っている選手が居ました。前年に前十字靭帯を損傷してリハビリ中だった宮古島出身のJリーガー上里一将選手がひとりだけ寮に残っていました。ちなみに私が通っていたゴルフスクールの若いインストラクターが上里選手と同じ宮古島高校出身で、生まれ年も同じだったので聞いてみたらやはり同級生でした。何かこれも縁なのかなぁと思いました。

しまふくごはんプロジェクトも何とか進みだし、もう一つの企画商品「赤黒カレー」の開発もはじめました。これは赤と黒のルーがそれぞれ別々のレトルトパックで2つ入りという商品で、スタジアムはもちろんみちのく食品のホームページから通年販売できる商品として企画しました。

赤黒カレーのパッケージにはユニフォームのデザインを採用する事にしました。とても素晴らしい仕上がりだったのですが、ひとつだけ気になる事があって、ユニフォームの胸スポンサー名のところに「赤黒カレー」と入れていたのですが、2005年の胸スポンサーさんは石屋製菓さんで、いちおう了承を頂いたほうが良いのではという事となり、伺いの電話を致しました。

この件は我々が思っていた以上に石屋製菓さんを混乱させてしまったようです。石屋製菓さんの中でもこの件は誰にどんな責任や権利権限があって誰が判断できるのかという事になっていたそうです。結局、石屋製菓さんの社長である石水氏(当時)から直々に「好きにやって構いませんよ」というお墨付き返事を頂きました。これでもう怖いものはなくなりました。

その年の開幕まで「しまふくごはん」や「赤黒カレー」を出すメドが立ったころコンサドーレ札幌オフィシャルブログサイトに両商品の販売促進を目的としたみちのく食品のブログ「菜食健美」を開設し、私が管理人を務める事になりました。

このブログではしまふくごはんの開発プロセスを段階を追いながら公開し、しまふくごはんが少しづつ出来上がっていくプロセスをしまふく寮の様子などを交えながら楽しんで頂きました。おかげ様で開設直後がら爆発的なアクセスを頂き、わずか数日でオフィシャルブログサイトの超人気ブログに昇格しました。

ブログの効果もあってしまふくごはんは発売前から大変注目され、おかげ様で新聞やテレビなどの取材が殺到しました。会社のホームページ経由の代表メールにもサポーターからの問い合わせが殺到しました。とくに多かった問い合わせは試合当日は絶対に手に入れたいので予約はできないのかスタジアム以外でも販売しないのかという、何が何でも手に入れたいといった内容でした。

いよいよしまふくごはんのデビューが近づいてきたころここでちょっとしたトラブルが発生しました。実は某新聞社の取材を受けたときに製造数量を聞かれ、会社としては500個程度を予定していると答えたのですが、実は開幕戦となる札幌ドームは商品買い取り制のため販売(発注)数量の決定権は札幌ドームにありました。ちなみに札幌ドームではしまふくごはんの販売を300個を計画としていたのですが、新聞には開幕戦で500個販売と記事にされてしまいました。製造可能数量を販売数量と記事にされてしまったのです。

この記事を見た札幌ドームからクレームが入ったので、その件を担当記者にも連絡をしましたが何の謝罪もなく仕方ないのでみちのく食品名で始末書を用意して札幌ドームに謝罪し、とりあえずお咎めなしだが販売数量は300個のまま変更しない事でお許しを頂きました。