最初の転職

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新会社設立に誘われて転職するも倒産~初めての失業

この頃は仕事にも行き詰っていて、退職金を計算したら130万円ほど貰える事がわかりました。このお金で少しでも借金の残高を減らして次の仕事を見つけてやりなおそうと考えました。

もともと好きで入ったシステム開発の世界、世の中の仕事を少しでも効率化し余ったマンパワーで新しい価値を生み出す事で社会が発展すると信じ、それを目標に頑張りました。しかし当時の日本経済はバブル崩壊も重なって、余ったマンパワーは有効活用される事なく余剰人員としてリストラの対象となりました。私は何のために頑張ってきたのかという気持ちが徐々に強くなりシステム開発の仕事に魅力を感じなくなっていました。

退職届を出して受理されるまでに7ヶ月かかりました。こんな私でも居て欲しい辞めるなと説得に次ぐ説得を受けましたが、それを振り払って退職する事が決まりました。何度も説得をして下さり有難かったですし、母親の件さえなければ正直辞めたくなかったです。ちなみに退職理由で母親の件は一切話しませんでした

退職が決まった時点で次の仕事のアテはありませんでしたが、偶然にも私と同じ退職時期に、理事のひとりが退職して新しい会社を設立しようとしている事がわかりました。その理事が私が退職する事を知りさっそく声をかけてきました

「新しいことをやる」「やりたいことをやってイイ」との事で、いくつか質問すると全部やっても良いと返事を頂いたので理事の新会社設立に参加する事を決めました。この後、口約束がいかにアテにならないか後悔する事になりますが。

母親は暫く大人しくしていました。私が親戚中から悪者にされる事を受け入れので、静かに私のアクション待ち(母親のもとへ戻る事)をしていたと思います。いちおう母親の動きは私の計算どおりでした。しかし退職してから理事の新会社設立まで4か月ほど空きがあり、アルバイトで食いつないでいたものの私の経済状況は再び悪化していました。もちろん理事にはこの事を話していませんでした。

新会社も無事に立ち上がり、私も管理職の一人として人材採用などを担当するなど新しい仕事がスタートしました。で、社長(元、理事)は何をしていたかと言いますと毎日接待ゴルフ三昧、土日を含めて週7日のうち5日はゴルフ&ススキノを繰り返していました。新しく仕事を取るためには仕方がないのかなと皆思っていましたが、数か月もするうちに会社の資金が乏しくなっていました。

あと数か月で会社のお金が無くなる状況になり、社長もさすがにマズイと思ったのか慌てて取引銀行へ追加融資の準備をはじめました。しかし悪い事は重なるもので北海道拓殖銀行の倒産ニュースが入ってきて金融機関の貸し渋りがはじまりました。そもそも前期決算書がない設立直後の新会社が簡単に融資が受けられるほど世の中甘くありません。まして拓銀の破たんで大騒ぎしている最中にです。

早くも給与の遅延が始まりました。銀行の融資が受けられない以上、売上に頼る以外ありません。そこで社長がとった作戦は「前借り」でした。システム開発の仕事は納品してからお金を頂くのが基本、それを前借でいくつか契約を取ってきました。業界の顔も広く人脈も多かった社長だからこそできたウルトラCですが、これも直ぐに大きな問題となりました。

拓銀の破たん、会社の資金不足と重なるように、私もとうとうお手上げ状態となりました。社長にもその事を話し、知り合いの弁護士を紹介して頂いて債務整理の手続きを始めました。利用していたサラ金、クレジット会社、自動車のローンなどは全部で13社にもなっていました。

弁護士さんが各会社と折衝をして最終的に残った債務は約400万円ほどでした。これを毎月12万円づつ返済する計画を作って頂きましたが、借金の原因となった母親とは一切かかわらないという事が条件で、もう選択の余地はなかったため了承する事となりました。この時から今日に至るまで母親とは連絡を取っていません

新会社の給与は年俸制で私の場合年俸360万円の12回払い、早い話が毎月総支給で30万円が支払われ、そのうち税金等が引かれて毎月24万円くらいが手取りでした。その中から支払いをするわけですが、酒もたばこもやらない私は固定費を除いて2~3万円あれば生活ができていたので、予定より1万円多い13万円を返済に充てました。

そんな状況で約2年もすると返済期間が短かった支払いが徐々に終わり、少しづつ生活にも余裕が出て・・くる予定でしたが、相変わらず会社のほうは資金不足の綱渡り状態が続いていて、私の毎月の支払いが減っている事を知った社長は年俸324万円への減額を打診されました。債務整理に関しては社長に大変お世話になったので承諾する事にしました。毎月の支払も10万円を切っていたので何とかなりました。

そして約3年半が過ぎた頃、私の債務整理も無事に片付き、ようやく解放・・・といきたかったところなんですが、会社がいよいよ危ななってきました。原因は慢性的な資金不足による前借体制と、起死回生を狙って業務提携した会社が実は多額の負債を抱えていて、確か1千万円近く投資したはずなんですが仕事は回ってこなく投資した1千万円も回収不能となりました。

そもそも「前借り」体制に問題もあって、普通はシステムが出来上がて納品し、場合によっては余計にかかった代金含めて受け取るのですが、「前借り」の場合はその仕事の終わりがはっきりせず300万円しか貰っていないのに600万円分の仕事をさせられたなんてことも珍しくもなく、利益が出るよう構造なっておらず、やればやるほど赤字という体質になってました。

さらに理事の資質にも問題があって前職ではずーっと営業畑を歩んでいて、システムの開発見積もりがまったくアテにならない事がわかりました。5000万円の大口仕事を取ってきたと成果をアピールするも、システム部門で受注内容を精査したところ少なくとも7000万円は必要だという事も多々ありました。

前職ではシステム部がきちんと見積もりした上で営業部が折衝していました。今は社長がシステム規模やお金の折衝をひとりで行っていたため安請け合いばかりとなっていました。そうしていよいよという時に、社長と昔からの付き合いがある会社が受け入れ先として現れました。

受け入れ先の会社に移行したあとも仕事はそのまま引き継がれしばらくとくに変わったこともなく、ただ給与の遅延の心配が無くなったくらいで穏やかな日々が続きました。ただ様々な問題点を見直して半年後に新しい体制でスタートとなると同時に、利益率の高い仕事を受けるため何名かは道外に出るか希望退職を受けるかの選択をする事になりました。

給与じたいも下がりに下がって一般よりもやや少ない金額まで下がっていたので、退職する事にしました。会社のほうでも解雇扱いにしてくれるとの事ですぐに失業保険が受け取れるようにしてくれました。

失業保険の給付期間は180日ありました。日数はまだまだあるのでしばらくリフレッシュして過ごす事にしました。この頃の私の楽しみはやはりインターネット2chの国内サッカー板、秒刊コンサドーレの住人でもありました。失業して日中は自由に過ごせるため、毎日のように自転車で宮の沢の練習場や札幌ドームへ練習見学に足を運び、さし触りがない程度に練習の様子を2chでレポートしていました。

当時のコンサドーレ札幌はJ2でしたが歴代最強と言われる可能性を秘めていました。監督は元鹿島のジョアン・カルロス、獲得に成功した外国人選手は、元ブラジル代表ホベルッチ、これまたブラジル代表経験のあるベット、そして過去に札幌で大活躍した実績のあるウィル、このブラジル人トリオは歴代最強助っ人になると思われました

シーズン開幕直後はチームにも勢いがあって初戦こそ敗退するもワクワクするような試合が続き誰もがJ1復帰間違いなしと期待したはずでした。しかし初夏の頃から監督を含めたブラジル人の様子が怪しくなり、気が付けばひとり、またひとりと居なくなってシーズン終盤には、ウイル→アンドラジーニャ、ホベルッチ→ビタウ、ベット→ウリダと、みんな入れ替わっていました。

この時期、実家を出から住んでいたアパートが取り壊して立て直す事となり、大家さんの配慮で同じ大家さんが管理する隣の物件へ転居する事になりました。この件は母親はもちろん親戚にも話しませんでした。債務整理の件以降は親戚の間、とくに母親に対して私は破産して行方不明になったことになっていて、固定電話の契約も辞めていたので母親から見て私との接点は唯一このアパートだけでした。

債務整理開始後も母親らしき人物がアパートのまわりでウロウロしている姿を何度か見かけました。どういうつもりだったのか分かりませんでしたが、私との復縁は諦めていなかったように思います。次にアパートの様子を見に来た時、アパートが無くなっている事を知ればどのような行動をするか、母親の私に対する気持ちを知りたと思いました。

もし本当に私の事を心配してくれていたのなら警察に捜索願でも出して私の無事を心配してくれるかなと僅かな望みを持っていました。でもそれは叶いませんでした。私の母を知る幼馴染に後から聞いた話では、アパートが無くなった事を知った母親は、知っている範囲の幼馴染に連絡を入れて私の事を探していたそうです。

私の事を本気で心配してくれたのか、また無心するために保険を掛けるようなつもりだったのか、それはもうわかりません。私が債務整理を開始した時、母親も多額の借金をかかえていました。それから5年近くが過ぎていて私が住んでいたアパートの周りをウロウロしたり、幼馴染の連絡先を調べて聞きまわる事ができるくらいなら、その時の債務も何とか片付いてそれなりに生活できているようなので、良かったなと安心する事にしました