「市民」という表現は多数派ではないと思う

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「市民と野党の共闘」という言葉には、いかにも庶民的で民主的なイメージがあります。私自身も市民が積極的に政治参加できることはとても良いと思いますし、良いイメージを持っていました。しかしインターネットで今回の衆院選に関する情報を覗いてみると、この「市民」という言葉に違和感を覚える人が少なくないのではと思いました。

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野党が言う「市民」とは若者層や無党派にとって自分たちとは違う特別な人たちに見えている

有権者を大雑把に見ると与党派、野党派、無党派の3つに分かれます。今の日本は政治への関心が薄い無党派の割合が多いのが残念です。「市民と野党の共闘」は読んで字のごとく野党派が使っています。野党支持の人が主張する「市民」とは有権者すべてと同等のイメージがあると思います。実は私もそうでした。しかしSNSやインターネット上では野党以外のとくに若者や無党派と思われる人たちからは宗教活動に熱心な人にも似た特別な人たち、少なくとも自分たちとは違う特別な人たちと見ているようで、少なくとも共感はしていないようです。

「市民」とは野党派の人たちにはとって多数派かもしれませんが、野党派以外の人たちには少数派と考えられているようで、もちろん自分たちも「市民」には入っていません。案外「市民と野党の共闘」を大々的にアピールするほど、1人でも多く取り込みたい無党派を逆に遠ざける結果になっていると思います。

今回の選挙戦をインターネットで見ていると、とくに政治にあまり関心がない若者層には近づきがたい雰囲気があるような書込みが見られました。しかも「市民と野党の共闘」を謳って活動している人の多くは、少なくとも自分たちと同じような若者の姿はなく、一生懸命に選挙活動をしている市民」は政治に関心が高い高齢者ばかり、自分たちとは対極の人たちのように見えているようです。つまり「市民と野党の共闘」は「若者と無党派」が遠ざかってしまう残念な結果になっているかもしれません。

「市民と野党の共闘」に代わるスローガンが必要かもしれません

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