医療福祉の専門家だけではなく人生の専門家も必要だと思う

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もう仕事としては辞めちゃったのですが、精神障害と身体障害の2つの事業所で障害者支援に関わっていました。社会人としてのスタートはIT業界、まさか自分が福祉関係へと進むとは夢にも思っていませんでした。但し、もともと心理学には興味があったのと、精神障害者と関わる機会があって、さらに興味を持つこととなりました。

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資格が壁を作り視野を狭くするのではないかという疑問

精神疾患の方が暮らすグループホームでこんなことがありました。利用者の担当医の所見や訪問看護師の記録私が生活支援した際の記録がとても同一人物とは思えないほど違っていたことがありました。その人は私には積極的に自分の夢や希望を語ることが多く、それを報告書に記録したのですが、それを見た担当看護師が信じられないと驚きました。外見的には穏やかで困ったり悩んでいるような様子はなく一見問題なさそうなのですが、医師や看護師の前では全く無気力で無関心な会話と態度しか見せないとのことでした。

「ゲーム理論」を少しでも学んだことがある人なら分かって貰えると思うのですが、主導権を持つ人の行動しだいで結果が違ってくる(変えられる)場合があります。この場合、主導権は医療関係者側にあり、とくに医師は「先生」と呼ばれるような立場ですから医療行為の場として話しても良い範囲の模範解答を意識してしまい、自分の本心は明らかにできないのではないかと思いました。ちなみに私はご飯を作ってくれる色んなことを知っているおじさん程度で、料理、パソコン、買い物、生活情報、人生経験など親近感を持ったようで、私とは自然で素直な会話が出来ていたのではないかと思います。

精神病院を廃止したイタリアでは患者同士が対話できる場を作り、極力医師は介入せず患者に言いたい事を自由に発言させて本音本心を拾うことを実施していました。意識して医師と患者との格差から自然に発生する壁をぶち壊していました(イタリア精神保健改革のDVD「昔mattoの街があった」より)。立場の違いや格差から精神障害者との間に出来てしまう心の壁はやっかいだと思いました。一時は介護福祉士や精神保険福祉士の資格が欲しいと思いましたが年齢的に厳しいこともあり、資格は介護職員実務者研修(旧、介護ヘルパー1級)以上望まないことにしました。

イタリアの精神医療改革をモデルに勉強していると、精神疾患は医療的ケアよりもひとりの社会人としての生き方、人生のケアこそ大切だと思うようになりました。ヨーロッパで精神疾患は2度の世界大戦による辛く不幸な体験によるもの、気質的なものよりも社会や環境が原因という意識があります。とくにイタリアでは精神疾患は社会の中でしか治せない、病院や医師では治せないということで単科の精神病院が廃止されました。

社会復帰できれば病気も治まるはず、社会経験豊富な人生の専門家こそ必要ではないかと思います