正義を体現したい大人のプログラミング教室が子供をダメにする

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子どもにプログラミングを教えるのは大賛成です。問題の発見や解決手法としてプログラミング需要はこれからも伸び続けると思います。しかしプログラミングの目的や教え方を間違うと自分自身を不幸にしてしまう可能性があります。

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プログラミングの目的を教える側が理解していない

子供向けプログラミング教室がすべてダメとは言いませんが、素人やボランティアによるプログラミング教室には疑問を感じます。その理由は「子供にプログラミングを教えることが目的」になっているからです。プログラミングは目的ではありません、問題解決や目標を達成するための手段です。目的よりも手段ばかり拘ってしまうようになると厄介なことになります。

プログラミングを料理に例えてみます。料理を作ることは目的であり鍋や包丁などの調理器具を使うことは手段です。作りたいに料理によって必要な調理器具を選ぶ必要があります。であるのに包丁の種類とメーカーや切れ味ばかり拘っても料理は出来上がりません(切るだけなら刺身くらい作れそうですが)。料理を作る上で必要とされるのは、材料としての食材や調味料の知識、調理に必要な道具と調理方法、場合によっては盛り付けなども大切です。

実はプログラミングに「このようにする事、なる事が正しい」というような客観的な正解はありません。唯一あるとするならプログラムの結果が達成したい目的や問題解決に至ったかという主観的な正解のみです。そのためには達成したい目的や解決したい問題に気付き、何をしたら良いのか理解する必要があります。

例えばエクセルのピボットテーブルの使い方(手段)を熟知しているのに、何故か仕事(目的)では使っていないを沢山見ています。これではエクセル(ピボットテーブル)を使えても仕事ができないのと同じです。おそらく実務経験のない「優しく丁寧をモットー」と謳う講師から学ぶとこうなるのではないかと思います。

このように目的を理解して適切な手段を選ぶことが出来ないような人間に育ってしまうと、融通か効かなかったり協調性に欠けるなど、それによって学校や社会から孤立したり場合によっては苛めに合う原因にもなります。子供相手に「プログラミングは正義」のような考え方をする人の傾向として、実は社会の中で役になっていないような気がします。つまり実社会の疎外感を埋める自己満足のために子供を利用しているように見えて仕方がありません。

プログラミングを身に着けることの優位性のみ強調すると、好奇心が強い子供は「相手を出し抜いて勝つための武器」のように誤解し「合理的な愚か者」「正論バカ」になる恐れがあります。プログラミングは教え方しだいで「幸せの道具」にも「不幸の武器」もなる可能性があります。

子供プログラミング教室は大の大人が自らの存在意義を確認する場ではありません