参考書や資料、パソコン、スマホも持ち込み自由の試験があっても良いと思う

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現在の教育システムには疑問に思う事がたくさんあります。そのひとつに筆記試験のやり方があります。基本的に自力で挑むしかないので記憶量が物を言います。少しでも多くの知識を詰め込むために膨大な時間を消費することになります。試験科目にもよりますが極端な言い方をすると「記憶量」が試されるとも言えると思います。

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情報は記憶から記録へ

多くの人が義務教育、高等学校、さらに大学へと進んでやがて社会に出るのですが、その間に数多くの試験があり、その度に一生懸命情報を詰め込んできたと思います。学生時代に詰め込んだ情報は相当な量なりますが、かと言ってその情報量さえあれば人生安泰で過ごせるわけでもありません。試験勉強ほどではないかもしれませんが、社会に出てからも新たに必要となる情報がたくさんあります。

学校の授業で「これが何の役にたつのか?」、勉強嫌いだった人ほど感じた事があると思います。ちなみに私のメインの生業でもあるIT分野で説明しますと、高校卒業後に2年制の専門学校へ進みましたが、この学校に通ったことで大手IT企業に就職することはできましたが、ここで身に着けた知識は現在ほとんど役にたつこともなく経験としても役にたっていません。むしろ独学で試行錯誤しながら必要なことを調べて判断した経験のほうが、次々と出てくる新たな情報や技術に適応することの役にたっていると思います。

結果的にムダになるかもしれない知識を一生懸命時間をかけて覚えることを疑問に思うことがあります。知っていて損はないと思いますが、一生懸命覚えても使わなければ忘れることもありますし、しかし一旦必要となれば再度学び直したり調べ直すことになります。であれば使うか使わないかわからないことを膨大な時間を使って詰め込んでおくのではなく、必要なときに効率良く調べる方法と技術、情報収集力、判断力、解決力などを身に着けたほうが社会でよっぽと役にたつと思います。

仕事や生活などの様々な場面で、必要となる知識を持っていなければ結果的に勉強するなり調べるなりして覚えることになります。であれば将来必要となるかどうかわからない知識を詰め込むことに多くの時間を使うことはあまり重要ではないと感じています。禁止が当たり前のカンニングも見方を変えれば情報処理能力のひとつと言えるかもしれません。

情報量ではなく情報処理力を鍛える授業や試験があっても良いと思います